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自己嫌悪

 別れてから約1週間が経ちました。先にもお話した通り、そもそも嫌いが理由で別れたわけではないので、好きなことには変わりありません。 ❢コラム 別れた理由の詳細はこちらから⇒ 彼女と別れました。 (2025年11月21日投稿)  好きでいると、つらくなるだけなので、出来るだけ早く忘れようとしているのですが、流石に1週間ぽっちなんかでは忘れられるはずもなく、、。直接別れを切り出さなかったのも、顔を見ると、決意が揺らぐと思ったからです。ほぼ毎日、思い出す度に、好きという気持ちと、大義を果たせなかった自責の念に見舞われ自己嫌悪に陥ります。まだ起きている時は他のことを考えたり、友人と話したりして思考を妨害することで、忘れられる(思い出させないようにしている)のですが、夜は夢の中で出てきてしまい、朝起きてまた自己嫌悪に陥るという悪循環を繰り返しています。こんな未来があったのではないか。あの決意は本当に正しかったのか。  振ったやつが何を言っているんだと言われれば、本当にその通りすぎて言い返す言葉もありません。私の大義ごときに振り回された彼女には心から申し訳ないと、毎日思っています。言い訳のしようもありません。この決断が正しいかとどうかについて、私は正しいと信じ続けなければならないと思います。そうでなければ、彼女が傷ついた意味が無くなってしまいます。好きな状態で振ることで自分自身が傷つくことは覚悟の上でした。そのうえで、この決断を下したのはそれが彼女にとって一番の選択であると考えたためです。  過去は二度ともどってこない。私に出来ることは、これから一生をもって贖罪をしていかなければならないと思います。苦しむことは振った側にとって、そして大義を果たせなかった者の責務であると思います。  私の信条は「世の為、人の為に尽くす」ということです。しかし彼女一人にすら大義を果たせなかったのに、こんな大層な信条を守れるのか。ここ最近ずっと悩んでいます。私ごときがこんなことをいうなど失敬ではないか。私など、他の人と関わらない方が皆幸せなのではないか、とも思うときが時々あります。  彼女一人笑顔にさせる事も出来ず、受験も失敗した私に一体なんの価値があるのか。自己嫌悪に陥ることも自分の弱さだと思います。私のせいで、彼女を不幸にさせ、周りも巻き込み、何を一丁前に苦し悩んでいるのだろうと。もう何が正解な...

「大東亜戦争終戦八十年を迎えるにあたって」解説

 この投稿は「 大東亜戦争終戦八十年を迎えるにあたって (ホームページ,プレスリリース)」の解説となります。本解説の前に必ずご覧ください。

終戦の詔書(玉音放送)

 明日で大東亜戦争(太平洋戦争/アジア・太平洋戦争/日中戦争/第二次世界大戦)の終戦から80年が経ちます。今回は大東亜戦争終戦の詔書(いわゆる玉音放送)について見てみましょう。黒文字は原文、 青文字 は常用漢字兼平仮名、 赤文字 は現代語訳です。なお、原文、常用漢字はWikipediaより、現代語訳はGimini及び、私の訳です。 「大東亞戰爭終結ノ詔書(大東亜戦争終戦の詔書)」  朕󠄁深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ玆ニ忠良ナル爾臣民ニ吿ク   朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し茲に忠良なる爾臣民に告く   私は世界の状況と我が国の現状を特別の措置によってこの状態(戦争状態)を終わらせたいと思い、ここに忠実な国民に告げる。  朕󠄁ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通󠄁吿セシメタリ   朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり   私は、帝国政府に対して、アメリカ、イギリス、中国、ソ連の四カ国へ、その共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れることを通告させた。 抑〻帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺󠄁範ニシテ朕󠄁ノ拳々措カサル所󠄁曩ニ米英二國ニ宣戰セル所󠄁以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庻幾󠄁スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵󠄁スカ如キハ固ヨリ朕󠄁カ志ニアラス然ルニ交󠄁戰已ニ四歲ヲ閱シ朕󠄁カ陸海將兵ノ勇戰朕󠄁カ百僚有司ノ勵精朕󠄁カ一億衆庻ノ奉公󠄁各〻最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐󠄁ナル爆彈ヲ使󠄁用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害󠄂ノ及フ所󠄁眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尙交󠄁戰ヲ繼續セムカ終󠄁ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延󠄁テ人類ノ文󠄁明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕󠄁何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕󠄁カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所󠄁以ナリ   抑々帝国臣民の康寧を図り万邦共栄の楽を偕にするは皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々措かさる所 曩に米英二国に宣戦せる所以も亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て他国の主権を排し領土を侵すか如きは固より朕か志にあらす 然るに交戦已...

「私は醜い人間。」追記

本投稿は「 私は醜い人間。 (2025年7月24日投稿) 」の追記です。こちらを読む前に上記の閲読を推おすすめいたします。 繰り返しになりますが、本投稿に関する思案は私(愛沢)の弱さ、自己責任によるものであり、彼女に一切の責任等はありません。また、賛否の分かれるものであると考えますため、閲覧される方々は先にご留意ください。  私が最も恐れること(損得の損)は、彼女が居なくなることとです。これは遠い先を考えた時に先に亡くなって欲しくないとか振られたくないとかそういうことではありません。  素直に突然、この世から居なくなってしまう、私の前から居なくなってしまうということに恐れています。好きな人を失いたくないというのは誰もが同じであろうことと思いますが、私は特に不安症なので、それがより怖いのです。(原因もあるがここでは伏せさせて頂きます。)  一方で、私はそれを彼女の最後の1秒まで寄り添っていきたいというのも事実であります。明日かもしれないし、10年後かもしれませんが、その最後の日まで私は彼女と歩んで行きたいという覚悟は先より変わりません。その後に後悔がないよう過ごしていきたいと思います。  本当にこれはただの私の我儘というか弱さであって他の人に分かってもらうような資格もありません。これで不快に思われた方々には謝罪申し上げます。しかし、今回は前回の投稿で不足していた部分を補うために追記という形で投稿致します。

私は醜い人間。

 私は本当に性格の悪い人間だと思います。自分の性格の悪さ、倫理の無さにひどく軽蔑します 。いっそのこと、良識を全て捨ててしまえればいいのにとも思います。今回話すことに関しては、私自身悪辣な内容であることを承知の上、賛否の分かれるものであると考えますため、閲覧される方々は先にご留意ください。  恋愛ってどう考えるべきなのか。私は私の損得で判断をしようとしてしまう、考えてしてしまうことがあります。私の大抵の場合、「情」と「叙事損得」という2観点を独立して考えます。その考え方自体は私は良いと思うのですが、恋愛に適応することは如何かと思います。特に今回の場合に関しては。  現状、彼女に関しては常時、あまり体調が芳しくない人です。それは、復縁した際から分かっていました。当時の私はそれを確認した上で、承諾しますから、情の面では現在も変わりはありません。今も昔もずっと好きで、私にはもったいないような彼女です。というよりも、昔よりもっと好きになったといった方が正しいです。つまり、体調面を含めてもそれが彼女であって、好きなので、情の部分は基本的に最大値なのです。  一方の叙事損得という面です。先に述べた通り、基本的に体調が芳しくありません。一般論で考えて、体調が良い人と悪い人であれば「良い人」の方が様々なことが行えるに決まっています。単純な損得で考えた場合、「良い人」の方が私にとって得が多いと考えます。つまり、『この貴重な青春において「良い人」と過ごした方が幸せである。』というのが結論となります。私としても以上の損得結論に関しては同意するものです。実際に体調が芳しくない状況により、断念した先例もあります。  通常、正式に最終決断を行う場合は、「情」と「叙事損得」を独立して考え、1:1としてそれらを合算し、「合算損得」として最終結論を出します。しかし、通常の感情判断としては「情」が優先されます(大体3:1)。一方、夜など私の感情が安定しない時などは「情」の比率が下がり、「叙事損得」が自動的に大きくなります。私はもともとネガティブな人間であって、自己肯定はそこまで高くありませんが、人前や、昼間などはネガティブを基本的に出さないようにしています。しかし、夜などはそうもいきません。そうなると、どうしても私の自信や、心情が弱まり「情」が小さくなり...

生徒会について

 生徒会とは「学校の全校生徒をもって組織して、学校生活の充実や、意欲向上を目指して活動する組織である」と私は思います。もっと簡単に言えば「生徒の労働組合」だと思います。労働者(生徒)がそれを管理する者(教員)に対して、学校においてより良い環境を目指し、要望を出したり、活動することが理想であると思います。  私は生徒会は政治的教育の意義があると思います。政治思想とかそういうものではなく、政治の仕組みというか、組織の在り方というものを学べるものだと思います。私の思う国政と生徒会の組織等の比較についてご紹介します。組織名、規約名については「 生徒会(Wikipedia) 」を参照します。 生徒総会→国民投票  理由:生徒会規約を憲法と仮定した際に、規約改正は総会にて行うことから以上とした。また、主権者(生徒・国民)が全員参加するものであることから以上とした。 生徒評議会(代議員会)→国会  理由:生徒評議会は規約細則の変更(立法)や、部、委員会の再編などを行い、総会に次ぐ決議機関であることから以上とした。 生徒会役員会(生徒会本部)→内閣  理由:役員会は最高執行機関として、事実上の行政権の機関であるからして以上とした。なお、内閣総理大臣に相当する者は生徒会長である。 各種委員会→各省庁  理由:各種委員会は役員会の傘下となり、これは内閣府と各省庁の関係と同じである。 生徒会規約→憲法  理由:生徒会規約は生徒会における最高規則であり、本会の枠組となることから以上とした。 生徒会規約細則→法律  理由:細則は生徒評議会で定め、また比較的自由に変更が出来ることから以上とした。  生徒会長が生徒から直接選任されるなど、議院内閣制とは一部異なる点はあるものの、相当するものに分けられることが分かるでしょう。この様に考えれば、将来政治について疎くなりやすい組織図などにも対応できると考えます。  私は生徒会をより良い組織として、役員会がより、執行部として、権力(執行権)を正しく行使し、各委員会を通して、学校をより良くしていく。この形が理想です。他校の生徒会は分かりませんが、役員会と各種委員会は非常に距離があって独立してしまっている印象です。私は評議会で細則を定め、役員会でこれを受けて執行を支持し、委員会がそれを管轄することが一番良いと思います。 ...

イライラする。

 最近、イライラする。理由は主に3つ。勉強のこと、彼女のこと、生徒会のこと。全て怒りの矛先は自分なんだけども。  1つ目、勉強のこと。私は高校3年生になって受験生になった。それから3カ月、受験は近づいてるというのに、私の努力量が比例しない。勉強をしなければ、大切さはちゃんと分かっている。でも、土日もサボっちゃってる時間が長いし、大変いけないと思っている。それは十二分にわかっている。私は睡眠は至福の喜びだと思っている。睡魔vs勉学で負けてしまうのだ。 2つ目、彼女のこと。先日、1周年を迎えたばかりだ。彼女との関係や、彼女のことについて悩んでいる訳では無い。私の不甲斐なさに苛つき、悩んでいる。何も出来ない私の無力さに苛つく。 3つ目、生徒会のこと。私は生徒会長であり、様々なこと事をやらなければならない。それは私が立候補をした時点で覚悟をしていたことであり、わかっている。私の代では例年以上に様々な事をやっており、めちゃめちゃ忙しい。「すべては生徒のために。」をモットーにでやっているが、それもいつまで持つかわからん。生徒に「生徒会って仕事してないよね」なんて言われたら、すぐに心が折れる自信がある。  一体このイライラはどうすればいいのか。

君が代の意味を学ぼう!

 我が国の国歌「君が代」皆さんはちゃんと歌えますか? 「君が代は 千代に八千代に さざれ石の い わおとなりて こけのむすまで」(国旗国歌法) 君が代(歌詞)が作られたのは平安時代で、確かな意味は分かっていません。しかし、いくつかの説があります。その中の私が推奨する意味を書きたいと思います。 君が代は ⋯私たちの世の中が  君の"き"が男性を表し"み"が女性を表わす=男性女性の世=私たちの世 千代に八千代に ⋯千年もその先も  八は古典では永遠やとても長いということを表し、単に八千年とを表しているわけではない さざれ石のいわおとなりて ⋯1人1人が協力し合い、大きな岩となるように  さざれ石=小さな石が沢山集まって出来る石 こけのむすまで ⋯苔が生える(=長い時)まで長く長く続きますように  子孫繁栄・国益成就を表している 世界を見渡すと血の香りのする国歌が多い中(アメリカは独立戦争、フランスはフランス革命など)日本の国歌は平和と繁栄を祈る曲でなんだなとても良いですよね。 みなさんも今度歌う時は意味を考えながら歌ってみてはいかがでしょうか?  

人権講演会(トランスジェンダー講演会)を受けて

 先日、学校で人権講習会という名の、トランスジェンダー講演会を受けました。今回はその感想や、私の意見について書いていきたいと思います。  はじめに、愛沢北斗はLGBTQ+又はその他の性別不合ではありません。精神及び身体共に男性です。本件ではマジョリティー(多数派)の1人である愛沢北斗個人としての意見となりますことをご理解、ご承知おき下さい。  講演を聞いてで一番感じたのは、「トランスジェンダーについて知って欲しい」ということです。私たちにこうして欲しいや、世の中への要望では無く、"存在を知ってもらう"ということに重点を置いていたと思います。確かにトランスジェンダーとLGBTQを一緒に考えてしまうことが多くあると思います。実際、私もそうでした。ちゃんと考えれば違うのはわかっていましたが、配慮とか、そういう事を考える時に一緒に考えることが多かったと感じます。今回の講演でこれを学べたことは成果があったと感じます。  講演の中で「社会的に認められたい」というお話がありました。私は今回の講演ではこの言葉の本意に気付くことは出来ませんでした。社会的に認められるといってもどこまでを認めて欲しいのか、戸籍なのか、トイレなのか。そういう部分が見えなかったのは残念であったと思います。特に、何かと話題になるジェンダートイレや、異性器の付いた状態での異性トイレなど、様々な課題や、社会的不安がある中で、どのようなことを求めていきたいのかが、私は読み取れませんでした。  私のマイノリティー(少数派)に対する考えとして、「公共の福祉の範囲内において最大限配慮及び尊重すべき」という考えを持っています。この公共の福祉というのは、マジョリティーの人々の権利が侵害されないということです。今回の場合で言えば、性別適合手術(性転換手術)を行わないトランス女性の公共の女子トイレや、女子更衣室を使用を認めてしまった場合、一般女性の安全が脅かされる危険性があります。しかし、忘れてはならないのはこれはLGBTQの人々のせいでは無いということです。一部のやばい人(犯罪者)のせいです。しかし、いくら原因がやばい人だと言っても上記を認めるわけにはなりません。先ほど言った通り少数派(LGBTQの人々)に配慮して、多数派(一般の人々)が迫害されてはならないからです。直接的な原因...

政治を知る この国の未来を知る

 先日、新しい政治へのキャッチコピーとして「政治を知る この国の未来を知る」を策定しました。またそれと同時にホームページ学び理解の1つの項目に追加しました。X(旧twitter)のプロフィールも更新し、新しいキャッチコピーをもとに活動していきます。  今回はこのキャッチコピーになった理由についてお話したいと思います。政治というのは日本国の根幹であり、土台であります。また、政治を行う政治家1人1人そして政党にはそれぞれの思いがあり、未来への方向性があると思います。政治家の方がその思い(未来の日本)を叶える為に働いていると思います。つまり、政治家(政治)を知るということは、日本国の未来を知ることです。  私は18歳に満たない為、参政権を持ちません。その為、民主政治の根幹である、選挙に参加することができません。しかしこの大好きな国、日本はどうなるのか。私は悩みました。 "私には何ができるのだろう"と。成人まであと約5カ月。今、私にできることは、"知ること"だと考えました。何事も知らなければ始まりません。日本の未来を知りたい。その為に政治を知る。その思いから今回のキャッチコピーが生まれました。  「政治を知る この国の未来を知る」この言葉を旨に政治について、日本について学んでいきたいと思います。

いじめ調査報告書を受けて

3月16日にいじめ調査報告書に関する誤ったブログを投稿致しましたことを心よりお詫び申し上げます。  先日、いじめ調査報告書(いじめ防止及び対応に関する対策基本細則に定める)を発表しました。今年度の調査ではいじめ確認総数2件ということとなりました。まずは今回の調査の結果を真摯に受け止め、反省を行いたいと思います。まだ報告書をご覧になられていない方は[ こちら ]からご覧ください  今回の調査では不確定な件が多く、結論を出すことはできませんでした。また、現在調査中でありますが、私にも容疑がかかっている事案もあります。今回の報告書を受けて私は心より反省し、新たな細則の制定や、自己の行動を改め、来年度同じような結果とならないよう努力してまいります。今後機会がありましたら調査中の事案の結果についてご報告させていただければと思います。

東日本大震災から14年

 2011年午後2時46分。 あの日東北地方を大きな揺れが襲いました。最大震度は7、地震の規模を示すマグニチュードは9と国内観測史上最大級の地震が発生しました。40mを超える津波が東北沿岸を襲い、多く尊い命が失われました。本震災で遺憾にも亡くなられた方、被害に遭われた方、ご遺族の皆様に心からお悔やみ申し上げます。  私は当時まだ3歳で津波も地震を観測しない場所に住んでいた為、東日本大震災というものを直接経験はしていません。しかし、私の生きている間に起こったこの震災を私はこの震災を知らない世代へと引き継いでいかなければなりません。令和に生まれた子はもちろん、14歳以下の子もこの震災を経験していません。私の世代でいうと、"阪神淡路大震災"と同じような感覚であると思います。阪神淡路大震災というのは私の生まれる前の出来事の為、何か遠い存在に感じられます。"過去"の出来事として思ってしまうのです。  私は東日本大震災をそのようなことにはしたくありません。二度と津波によって死者が出ないように、津波を軽視する人が出ないように。  近年でも令和6年能登半島、熊本地震など多くの地震によって尊い命が失われました。私はこれらの出来事を風化させず、未来へと繋いで行きたいと心から思います。

私の価値とは?

 皆さんは「自分がなんの為に生きて、存在しているのか。」考えたことがあるでしょうか?今回の議題は「私の存在価値とは。」です。 年齢が上がるたびに、私の存在価値はあんまりないなぁと考えることが増えている気がします笑。 もし、自分がこの世から居なくなった時、きっとこの世は何も問題なく回っていくでしょう。奇跡的に私の死を悲しんでくれる人がいたとしても、数週間で忘れてしまうでしょう。  では、私が今生きて存在している意義とは何か。ないのではないのでしょうか?別に死にたいとかそういうわけではないですが、、  友人を見てると人に頼られ、敬愛されていてすごいなぁと感じてしまいます。もちろんその友人は素晴らしい人ですから頼られていて当たり前なのですが。。  人の価値とは何でしょうか?